暗峠と髪切峠に挟まれて、お椀を伏せたような山。遠くから見てもよく分かる山容ながら、天照山(525m)という立派な山名があることを知る人は少ないでしょう。
ストリートビュー - Googleマップ
鉄塔付近が髪切峠
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かつては旗振通信の中継地だった。
天照山はかつて旗振り通信の中継地点でした。旗振山として活用される山は、山頂まで短時間で登れることが条件になっていたようです。従って標高500m越えるようなところでは旗振通信員にとって利便性が良くないのですが、天照山は暗峠や髪切峠からだと容易に登れる位置にあります。
天照山の山頂付近 現在では樹木が茂って見晴らしはよくありません。
ところが現在の地図には、山頂への道筋どころか山名さえも消え去っていて寂しい限りです。入口付近のヤブを突破すれば、山頂に続く尾根筋にキチンとした道がありました。
暗峠側の入り口に立つ日月碑 日待講の遺物と考えられています。
風化によりほとんど文字が読み取れないのですが、文献によると右端から以下のとおりとなっているようです。決して墓石ではありませんよ。
諸行無上/正保二年/是生、、、碑文は三行のようですが、辛うじて江戸期の紀年のみが読み取れるようです。
日月碑 山型板碑に月と太陽
碑文とは対照的に頭部の月と太陽は明瞭に刻されています。以下は文献の引用です。
立春の前夜より、夜を明かして日待講をつとめ、早朝よりこの地に登山、日の出を拝して、生気をいただいたことであろう。日待講については土地によって習慣の違いがありますが、ここ暗峠(天照山)は太陽や月を拝むのに絶好の場所であることに間違いありません。天照山の頂きから見る太陽や月の美しさは想像するだけでも魅了されますね。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
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