峯腰痛地蔵尊(生駒郡平群町櫟原)

 

以前紹介した「いちはら越」の古道は、櫟原上垣内(峯の垣内)から八尾市神立とを結び、物資流通に大いに貢献しました。

 

ストリートビュー - Googleマップ
河内越とフラワーロードの交差点

 

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櫟原側からは河内越と呼ばれる

 

八尾市側のルートが荒廃して今では全ルートが河内越と呼ばれることが多くなり、「いちはら越」の名称は死後となってしまいました。櫟原側のルートはよく整備されて軽トラが通行できる林道となっています。

 

峯腰痛地蔵尊の屋形
上から見る

 

出口付近でよく整備されたフラワーロード(広域農道)と交差するために、周囲の様子は一変しています。お地蔵さんもコンクリート壁を背にして立っておられます。

 

峯腰痛地蔵尊
屋形は新しくなった様子

 

広域農道が整備される以前は鳴川峠への分岐点にもなっており、峯垣内は生駒山中に設置された溜池の清流が流れる場所で、用水(溝)を守る地蔵が祀られていたと云います。

 

屋形内の石仏

 

屋形には「峯腰痛地蔵尊」と書かれていますが、「峯の溝の地蔵」とも呼ばれているらしいです。中央の山型名号碑には文化六年の紀年銘と上部に阿弥陀三尊の種字が刻されています。また石碑の真ん中あたりに資料文献と同様の修復痕が確認できます。

 

船形地蔵立像
名号碑から右手の石仏

 

資料文献にも紹介されているお地蔵さんは、上部が欠損しているものの像容から古い形式が認められ、室町中期前後の造作と推測されています。左手にも船形の石造物を祀られていますが、砂岩製の十一面観音像で江戸時代のもので「他所から購入したもの」とあり、そっけない評価です。凡人にはどれもありがたい石仏にしか見えないのですが。

 

  • 訪問日[2013.10.22]

  • 参考文献
    奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)

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