石福寺や金毘羅さんがある旧乙田村の中心地は生駒市萩の台に町名が変わったようです。現在の乙田町といえば金毘羅神社から南東部に広がる矢田丘陵のエリアで、ほとんどが山と畑になっています。矢田寺参詣道の両側に見られる棚田は、休耕田か耕作放棄地となっており時代の変化を感じずにはいられませんね。
ストリートビュー - Googleマップ
キョウ山の小高い頂にある金毘羅さん
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乙田の町名はどこ?
歯痛地蔵 端(はし)の地蔵が転じて歯の地蔵となった(?)
旧乙田村の東の端から小高いところを目指して登っていくと、唐突に神社が現れます。入口が狭く、うっかり見過ごしてしまいそうな場所でした。
金毘羅神社
撮影するのも一苦労です。
安政灯篭 安政二年、金毘羅大権現
多分これが文献に出てくる安政灯篭だと思いますが、ちょっと自信がありません。
急な坂を下って参詣道の続きを歩いていくと、立派な石灯篭に天照皇大神の祠がありました。石灯篭には文政二年の銘があり、「御城主御武運長久」と刻されています。また、大きく「太神宮」とも記されているので、江戸期に流行したおかげ参りと関係があるようですね。
文献によると祠内には陽石が祀られているとのことでしたが、中を確認することはできませんでした。この場所は乙田村の東北にあって、通称「馬つなぎ」と呼ばれており、郡山城主が馬をつないだ場所であると伝えられています。
生駒山を望む
萩の台から現在の生駒市乙田町に変わるあたりで、振り返って西に目をやれば生駒山の雄姿が飛び込んできます。おかげ参り盛んなる頃、旅から帰った村人が最初に見た風景です。山は昔と変わりなく旅人を温かく迎え入れてくれることでしょう。
参考文献
奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)
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