白山神社周辺はかつての福貴寺の跡地でした。慈尊山福貴寺と号して盛時には周囲に六十坊を数えたと云います。現在も境内奥に中之坊、西之坊の塔頭跡が残っています。
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普門院の跡地も保存されている
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法隆寺の高僧が隠居していた福貴寺
白山神社鳥居 鳥居の脇に地蔵祠
白山神社は伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っていた福貴寺の神宮寺でしたが、明治の神仏分離の影響で廃寺となってしまったようです。この寺に隠居していた道詮律師は、弘法大師とも親交があり、法隆寺夢殿の再建に尽力したと云います。
道詮律師の供養塔 細長い石塔と宝篋印塔が並ぶ
民衆からも「福貴の道詮」と呼ばれて慕われていたそうで、白山神社の境内奥に「道詮律師のお墓」とする供養塔が立っていました。ちょっと細身で地味な御陵です。
高ノ坊跡地 石仏が並ぶ
道詮律師のお墓からさらに山道をたどっていくと、竹林の間を抜けて道端に数体の石仏が並んでいました。ここがかつての高ノ坊跡地らしく、左から二番目の船形発心門種子板碑には寛文七年の銘が刻されています。
さらに右から二番目の船形地蔵立像は上部が欠損し半分土中に埋まっていて、詳細がよくわかりませんが、資料文献夜と室町中期の作とされています。近くで見ると深彫りで左手の様子などもわかるのですが、この写真からは読み取れません。ぜひ現地でお確かめください、今のうちに。
参考文献
奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)
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