久保東の辻付近の石造遺物(平群町久安寺)

 

立石峠から久保西の石仏を見てまっすぐ東に進むと、左に分岐する道があり道標とカーブミラーが立っています。カーブミラーの看板に「久保 北(?)」と記されていました。

 

ストリートビュー - Googleマップ
分岐を東側から見る。

 

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久保と信貴山を結ぶ南北の道

 

古い地図(今昔マップ)で見るとここは四辻になっており、まっすぐ南に進むと信貴山に通じていたようです。今は南への道は草むらに隠れていて、舗装路だけを見ていると三叉路のようになっています。

 

信貴山を示す道標
「すぐ」とはまっすぐの意味です。

 

最初は道標の向きが変わったのかと思いました。東西どちらにまっすぐ進んでも、信貴山へは遠回りになるからです。

 

道標の左手にある自然石
上部に梵字が刻されています。

 

道標の左横にあった自然石が気になったので、雑草を取り払うと上部には丸く彫り込まれた中に梵字が陰刻されていました。

 

西国回峰紀年碑か
「西国三十」が読み取れる。

 

表面を覆っていた蔦を剥がし、土や泥を取り払うと刻された文字が出てきました。恐らく西国三十三回の紀年碑でしょう。

 

南方向の道は明瞭ではありません。冬場に探索してみましょう。

 

南垣内へ向かうため東へ進んでいくと、野仏が祀られていました。

 

船型の合掌仏は観音さまでしょうか。

 

周囲の様子からかつては南北にも往来の多い道だったに違いありません。

 

  • 訪問日[2015.07.20]

  • 参考文献
    奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)

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