阿弥陀三尊磨崖仏を見学した後、石仏の道をさらに登っていきます。先年の台風で崩落した区間には新しい道が造成されているものの傷痕は痛ましい。急坂を登りつめると、あまり見晴らしの良くない展望デッキを経て、岩倉開元寺の多宝塔跡に着きます。
石仏の道 - Googleマイマップ
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山頂手前で三宝荒神の赤い鳥居
三宝荒神 |
交野山は標高341mの低山ながら岩場がむき出しの急斜面もあり、複雑にルートが交錯する興味深い山域にあります。山頂の南尾根に赤い鳥居が立ち、三宝荒神が祀られていることでも有名。
三宝荒神磨崖梵字碑(寛文六年)1663 |
下部の円を省略したという三宝荒神を表すウンの梵字は、前面に置かれた金属製の祠のために、全容を撮影することができません。隙間から覗き込んだところ、深く太く陰刻された文字が印象的でした。
石燈籠の銘文 |
ちょっと興味深いのは、梵字石碑の前に置かれて、木々がはびこる巨大な岩塊です。これは単なる岩の塊ではなくて、石燈籠の一部だと言う。笠部はこの周辺に埋まっているだろうというのが資料の見立てです。
ストリートビュー - Googleマップ
交野山の山頂部
ここからは撮影日を2週間ほど遡ります。交野山の山頂部は雑木が伐採されて明るくなりました。山頂北側にある大日如来磨崖梵字碑や観音岩に銅版が埋め込まれていたという矩形の彫り穴をストリートビューでご覧いただけます。ついでに山頂部からの眺めもお楽しみください。
聖観音磨崖梵字碑 |
聖観音磨崖梵字碑は小道を辿って岩の下へ回り込まないと見えません。巨大な「サ」の文字が交野市を見下ろすように彫られています。しかし、観音岩は機物神社の参道から見えていたと云います。周囲が伐採された理由もそこにありました。
観音岩・碑文 |
地表面から近いところに銘文が刻されていて、それによると三宝荒神の磨崖梵字碑と同様に寛文六年の銘を確認することができました。関ケ原の戦いから60年ほどが経ち、世の中的に少し落ち着いてきた証なのでしょうか。
参考文献
交野市の石造文化財1-私市・私部・神宮寺・倉治地区編-
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