鳴川峠の峠地蔵に再訪してきました。この峠道は1995年にナカニシヤ出版から出版され人気を博した「関西山越の古道(上)」(著者:中庄谷直氏)において紹介されており、そこに掲載されていた峠地蔵の写真を見たのが、決定的な動機となったのです。
Googleマップ
本書より該当の箇所のみ抜粋したのが上記の写真です。最初はどこの写真だろうと思いましたが、これは紛れもなくかつての鳴川峠、屋形の後方に写っているベンチや案内板が今の風景と同じです。
いつから野ざらしになったのでしょうか。筆者が初めて訪問した2009年頃はすでに屋形は存在せず。南北に通じている生駒縦走道からは草むらに隠れて目立ちません。気付かずに通り過ぎるハイカーも多い。かつては、東西の通行量が多かった場所ですが、スカイラインの出現で大きく様変わりしてしまいました。
そんな昔日の面影を残す峠地蔵さんですが、今もお参りする方がおられるのでしょう。ペットボトルに挿した供花と塩ビ管に取り付けた鈴など、周囲をしっかりと固めて守られていました。傍らにはおもちゃの剣まで置いてある。これでは撮影に支障をきたすので、丁寧に一つずつ整理させていただきました。
昨今は文化財にイタズラする輩が多いので、涎かけ一枚外すにも人目を気にせねばなりません。この日もそばで見ている方がおられましたが、堂々と粛々と作業を行うのがコツ。撮影後は慌てずゆっくりと原状復帰させ、帽子を取って合掌をし、お礼の言葉を述べてから写真の出来栄えを確認しました。
首の辺りで真一文字に切断されているので、「首切り地蔵」などと称されることもあるようですが、この呼び名はふさわしくなく好みではありません。やはり「峠の地蔵」とでもお呼びすべきでしょう。造立時期を室町時代とする向きがあるように、十三峠越や立石越に見られるような江戸期のお地蔵さんとは、明らかに作風が異なっています。
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