専応寺は浄土真宗本願寺派に属し、ご本尊は阿弥陀如来とされ、江戸時代中期の様式である本堂、聖徳太子像を安置する太子堂、鐘楼、山門、庫裏が残されています。
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参道は東高野街道に面しています。
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大坂城築城に関わった由緒あるお寺
寺の創建は鎌倉時代と古く、戦国時代の戦乱により荒廃したものの、江戸時代中頃には現在の姿に再建されたと云います。
専応寺山門 老朽化による瓦崩落の危険から山門は通れません。
東高野街道から参道を歩いて行くと、山門の奥に意外と広い境内に開放感が溢れていました。
大東市指定樹木
境内の中央には立派なイチョウの木が立っており、時節柄、銀杏の実が散らばって独特の香りが漂っていました。
京極丹後守 寄付の手水鉢 後ろに立派な石灯篭と太子堂
手水鉢の由来によると、大坂城築城(元和年間)の際、大名普請の任にあたっていた京極丹後守が専応寺に陣屋を設置しました。石垣用に飯盛山周辺の石を切り出し、水路を使って大坂城まで運搬したと云います。その折の感謝の印として手水鉢が寄進されました。
説明版
大名普請で疲弊した武家の精いっぱいの感謝の気持ちであったのでしょう。石仏同様に様々な思いが込められているような気がします。
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