曹洞宗龍光寺の石造遺物(大東市龍間)

 

龍間地域に伝わる落龍伝説によると、三つに裂けた龍の身体の内その頭部が龍光寺に落ちてきたと伝わっています。その由来から龍頭寺がいつしか龍光寺と呼ばれるようになりましたが、江戸時代に無住となったなったため荒廃して廃寺となってしまいました。

 

ストリートビュー - Googleマップ
コンクリートの階段に立つお地蔵さん

 

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寺は廃されても地名や信仰は残る

 

河内鑑名所記に敏達天皇(572-585)の開基とされる由緒あるお寺ですが、度々の戦火により荒廃、江戸時代の初期に僧玄光により再建を果たすも、その後は無住となって再び荒廃。今日に至っています。

 

龍光寺参道登り口
旧地名に土堂(つちんどう)、無念堂などが残り、往時を偲ばせる。

 

入口のお地蔵さんは凛々しいお顔をされています。
境内には墓地が残されています。

 

境内に入る手前の広場奥に石仏が数体祀られています。

 

左手の地蔵立像は大東市指定文化財
石龕内には弘法大師の座像が祀られています。

 

延徳銘地蔵
船型光背をもつ延命地蔵

 

周囲には箱仏など、数体の小石仏が祀られており、木々の間からは生駒山の雄姿を眺めることができます。

 

延徳二年(1490年)
大東市最古の石仏

 

  • 訪問日[2015.09.26]

  • 参考文献
    歴史散歩道大東(大東市教育委員会)

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