星田六十山の一つ「新宮山」は、現在の星田公園の中にあります。山頂部にはかつてこの地に隆盛を誇った「新宮山八幡宮」の石造遺物が保存されています。
宝篋印塔二基 |
広い山頂部の一角に鉄柵で囲まれて、二基の宝篋印塔が祀られています。現在の風景からここに六小社と六支院が権勢を誇っていたことを想像すら出来ません。石清水八幡宮を本宮と呼び、当地を新宮と言ったことが「新宮山」の由来だと云います。
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上部、宝篋印塔残欠 基礎部五輪塔(延慶二年)1309 |
向かって左にある宝篋印塔は一目で寄せ集めと分かりますね。静かな公園に数々の歴史を積み重ねてきたことを象徴しているようにも思います。資料によると五輪塔の基礎部に宝篋印塔の残欠を積み重ねてあるとのこと。
宝篋印塔(天文一七年)1548 |
正面の宝篋印塔は古式の特徴がよく現れた立派なモノです。しかし、この宝篋印塔も基礎以下は後補されており、相輪部は石質が異なると云います。
宝篋印塔(天文一七年)1548 |
この角度から見る宝篋印塔に何とも言えない造形美を感じます。笠部から隅飾り、落ち着いた雰囲気に心が洗われるような気がします。
宝生如来種字「タラーク」 |
四面には線彫りで円を刻み、薬研彫りの種字が配されています。正面には宝生如来を表す種字「タラーク」が刻してありました。
宝篋印塔基礎部 |
上二段式の基礎部に銘文が刻まれており、右面には「天文一七年」の銘が見られると云います。ライトの照射でなんとか読み取れるのではないでしょうか。資料にある拓本によると正面には中央に「八幡宮」と刻まれているそうですが、こちらは風化が激しく読み取りは叶いませんでした。いずれにしても、星田六十山の一座目としては、とても相応しい場所ですね。
参考文献
交野市の石造文化財2-群津・森・寺・傍示・星田地区編-
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