小倉山教弘寺と言えば、生駒の古道「庄兵ェ道」の途上にあり、役行者が開基したことで知られています。参道の石段を登った本堂右奥に、「天正六年」の銘が刻された役行者像石龕が祀られており、石仏ファンには見逃せない貴重な石造遺物です。
行者像石龕(桃山時代、天正六年) |
足元をよく見ると、両足の高下駄で前鬼と後鬼を踏みつけになさっている所作が面白い。資料には「安土桃山時代にはこの地に、行者信仰の山伏が訪れていたことであろう」と紹介されていました。
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徐々に忘れられていく石造遺物
十三重層塔(鎌倉期) |
本堂周辺には貴重な石造遺物が多数残されています。かつては、コリアン寺院がこの地で滝行の修行場として利用されていましたが、昨今の後継者不足と微妙な国際情勢が災いして、今では無住となってしまいました。そのため、当地を訪れる人はめったにいないようです。
五輪塔(正慶二年、大和竜田村) |
それでも、お寺の境内はよく整備されており、いわゆる「荒寺」ではありません。「正慶二年」の銘が刻された五輪塔は、鉄柵で守られ大切にされています。「正慶二年」は北朝方の年号であり、吉野城の陥落を見た「大和竜田村」の人たちは、さぞかし「気を見るに敏」だったのでしょう。
元禄燈籠(元禄六年) |
本堂横の石造遺品に思いを馳せながら、少し参道の方へ戻って元禄燈籠をじっくり観察してみました。資料によると、左右一対の灯篭には異なった紀年銘が刻されていると云います。上掲の灯篭は「元禄六年」が、左の灯篭に「元禄二二」と刻されていました。「元禄二二」とは、「2+2=4」ということなのか? 江戸期のジョークでしょうか。それとも、「四」は「死」をイメージさせるとか言う駄洒落的発想でしょうか。
元禄燈籠(菊、桐の紋) |
元禄燈籠(動物?) |
これも資料によりますと、「中台は竿と一つとなっていて、桐、菊の紋や、動物が浮彫りされていて、基礎の反花も彫が深く、、、」と紹介しされています。ライトを照射して浮き上がらせるとクッキリ確認できましたが、動物とは何なのか? 馬のようにも思えますが、右の動物には立派な「角」か生えていますね。鹿でしょうか? 「馬」と「鹿」?? そんなバカな。
「しかと見てもとうろう(とうとう)分かりませぬ」
お後がよろしいようで。失礼いたしました。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
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