笠上神社(瘡神社)の石造遺物(京田辺市高船里七八番地)

笠上神社(瘡神社)

資料によると「京田辺市高船集落の北側の高台に笠上神社が鎮座する」とあります。現地に行ってみると「瘡神社」が正式な呼び名で、昭和の初期に大坂の篤志家により再建されたとありました。

笠上神社(瘡神社)
笠上神社の拝殿前


鳥居の両脇には、狛犬ならぬ狛狐が立っています。台石に刻された紀年は昭和十二年となっていることから、恐らく再建時に建立されたものでしょう。

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柔和なお顔をした身代不動明王



身代不動明王
身代不動明王


境内を南に進むと広場のような場所に屋形が建っており、自然石の台石に不動明王が座しておられました。

身代不動明王
身代不動明王


「身代」と名付けられていることから、病苦をお引き受けになるお不動さんでしょうか。この役目はたいてい「何でも屋」のお地蔵さんか、「おもちゃ顔」のお薬師さんなんですがねぇ。

身代不動明王
身代不動明王


不動明王にしては迫力に欠ける顔つきですね。どちらかと言えば柔和で親しみやすい表情です。お不動さんもこんな顔をなさる時があるのですね。まさに「仏顔」です。三度以上見ないようにいたしましょう。


  • 訪問日[2016.11.06]

  • 参考文献
    生駒の古道-生駒市古道調査-(生駒民俗会、平成二十六年)

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