黄檗宗・大福寺 |
お寺の西にあるという「大門」はどこ?
「大門町」という地名の由来となった「大門」は確認できませんでしが、山門の立派な扁額を鑑賞して境内に入ってみましょう。
大福寺扁額 |
山門の東側には江戸期の特徴をよく表した宝篋印塔(文政十年)と石仏が並べてあります。
宝篋印塔 |
境内西側は寺内墓地となっており、立派な五輪塔は永享五年(1434)と歴史の古さを感じるには十分な風格です。
五輪塔 |
五輪塔(水輪部) |
重要な石造遺物群は本堂前に集められていました。中でも十三仏板碑は各尊像を薄肉彫りしたもので、元亀四年の紀年が刻されています。
石造遺物群 |
資料によると向かって右端の大日像は珍しいモノなんだとか。詳細はよくわかっていません。
十三仏板碑(元亀四年) |
元亀四年と言えば、織田信長が室町幕府将軍・足利義昭を京都から追放し、天正と改まった年ですね。のどかな田園地帯にも「風雲急を告げ」騒然としていたことでしょう。この十三仏に込めた願いが伝わってくるようでした。
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
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