高山城跡南西に続く尾根の先端部にあり、資料によると荒廃していて法楽寺の末寺と考えられるが、砦の一つではないかと推察されています。
法楽寺別院本願寺 - Googleマップ
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永正元年銘の地蔵石仏が発見さる。
本願寺新客殿 |
県道7号から少し入った坂道を登ると近年建てられたという御堂の横には、「本願寺新客殿落慶記念碑」なるものが据えられていました。恐らく「永正元年銘の地蔵石仏」というのは、この中にうやうやしく安置されているのでしょう。
居並ぶ石造遺物 |
しかし、がっかりする必要はありません。さらに貴重な石造遺物の数々が、境内の片隅にある吹きさらしの屋形周辺に集められていました。
舟形十三仏板碑(弘治三年) |
どれから拝見するか迷ってしまいますね。十三仏板碑は向かって右側の天蓋部分に欠損があり、風化もかなり進んでいますが、なかなか味わい深く立派なモノ。
地蔵石仏二体(紀年なし) |
像高1m足らずの地蔵立像で、紀年銘が刻されていないのが残念です。風化の度合いからかなりの年代モノと思いますよ。
阿弥陀如来(?) |
これはよく分かりません。資料には地蔵石仏二体以外について言及はなく、手の形や頭髪、地蔵さんとすれば錫杖を持っていません。やはり如来立像でしょうか。
庚申石碑とマリア観音(右端奥、頭部なし) |
これは惜しいことをしました。生駒山系で「庚申」と刻されただけの庚申信仰を表す石碑はめったに見かけません。めったにない珍しいモノなのにとても立派、つい興奮して上の写真で右端奥に立つ石仏を忘れていました。頭部が欠損していますが、涎かけの下には、「流れるような天衣の線が美しい」とされるマリア観音さまが隠されていたらしい。
自然石六字名号碑 |
慶長十五年銘の自然石に刻された名号板碑、比較的新しいはずなのにかなり風化しています。
自然石富士講石碑 |
こちらも同じく江戸期の遺品で元文元年とのことですが、掘り込みが変わっていますね。本願寺はキリシタン大名で知られた高山右近とも縁があったと云います。富士山詣は江戸期に全国で流行したと云いますが、石碑が十字架のように思えてなりません。
石がん内(小石仏) |
資料によると石がんには役行者像が祀られていることになっており、写真まで付されているのですが、涎かけの下には小石仏が一体。。。役行者さんはどこに行かれたのか。ひょっとして新客殿に引っ越しされたのでしょうか。
熊野三宮板碑 |
最後に本願寺墓地内で見つけた珍しいモノをご紹介します。高山城跡から近道をしようとして、たまたま本願寺の東墓地に迷い込みました。遺品の多さに圧倒されながらもとても気になった一品を撮影しました。帰宅後に調べてみると、新客殿に安置されている地蔵石仏と同じ永正元年の銘が入っているとのこと。写真にてもご確認いただけます。これは見つけようと思っても見つかるモノじゃありませんよ。何かに導かれていたような気がします。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
生駒の古道-生駒市古道調査-(生駒民俗会、平成二十六年)
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