長命寺の北に金毘羅社が建っています。江戸期から明治時代初期にかけて、多くの参拝客で賑わったと云います。交通機関が発達し、古堤街道などの主要道が衰退する中で、徐々に忘れ去られたのでしょう。
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大阪の信者が多かった金毘羅社
参道のガス灯(石竿)が往時を偲ばせる |
草深い長命寺北墓を出て50m程坂道をを上がったところに立派な石の鳥居(江戸期)があり、石段脇に立つ柱石はガス灯に使われた石造の竿だと云います。当時としてはハイカラなものだったのでしょうね。
手水鉢 |
手水鉢に刻された銘によると、「嘉永七年・河内加納村」と刻されていることが分かります。河内加納村は生駒山を越えた東大阪市の地名ですね。
狛犬(阿型) |
狛犬(吽型) |
狛犬は天保三年の銘が刻されており、江戸期にしては立派で精悍な表情です。狛犬(阿型)は頭部の損傷が激しく残念な状態ですが、台石周りに大阪商人の名前や屋号がはっきりと刻されていて興味深い。(天保三年、大阪伏見屋)
燈籠(江戸期) |
一列に並べられた燈籠にも大阪商人の屋号や寄進者の名前を確認することができました。(文政六年・大阪三好、天保三年・大阪伏見屋)
台石(狛犬) |
大きく「川」の文字を二重線で丸囲みした刻印は遠くからも目につきます。俵口の金毘羅社は大阪からの参拝者が多かったと云いますが、これらの刻印は当時としては商売を宣伝する上で大いに役立ったことでしょう。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
古道に残る信仰の文字・宝山寺への道(生駒民俗会、昭和六十二年)
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