不正な盛り土でにわかに注目を浴びた生駒市西松ヶ丘、薬師堂川の北岸に宝山寺の末寺とも伝わる真言律宗の長命寺が建っています。道路を挟んだ北側の草深い場所に長命寺の古い墓地がありました。
ストリートビュー - Googleマップ
スポンサーリンク
石造遺物が語る高僧「貞剛僧都」
長命寺北墓 |
昼でも薄暗く人を寄せ付けない雰囲気のある古い墓所、大きな自然石の上部には表面をくり抜いて石室とし、その上に別石で作った唐破風の屋根を載せてあります。磨崖された石室内には弘法大師の坐像が祀られていました。近づいて見ようにも足元が悪く、しかも高い位置に彫られているので、近づくほどに撮影が困難になります。その上、ぐずぐずしていると蚊に刺されます。
磨崖石室内弘法大師坐像 |
六角柱笠塔婆型の法華千部供養塔は、磨崖石室とともに江戸期の造立と考えられており、保存状態の良い花崗岩製と、元禄十五年と刻された砂岩製があるとのこと。弘法大師坐像の撮影に苦慮したために、そこまで確認できる余裕がありませんでした。
法華千部供養塔 |
ひと際目につくのが吹き抜けの屋形に祀られた自然石を山型に整形した石碑です。大きく立派な文字で「北嶺大行満貞剛 八十八建之」と刻されています。資料によると、北嶺とは生駒山を指し「葛城山北嶺の行場」という意味だそうで、貞剛僧都は八十八歳でこの大行を果たしたと云います。
自然石「大行満碑」 |
当時の平均寿命から見て、この年まで生きること自体が奇跡に近い。その長寿にあやかりたいとする人は多くいたことでしょう。長寿が珍しかった時代の遺物とも言えますね。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
0 件のコメント :
コメントを投稿