信貴山へは大阪や奈良からバス、電車、ケーブルカーが通じており、宝山寺と並ぶ人気の参拝スポット。周辺ではたくさんの石造遺物を見ることができます。今回はちょっと寂しい場所にあるお地蔵さんをご紹介しましょう。
ストリートビュー - Googleマップ
西和消防署の看板を目印に石段の山道を登る。
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信貴山奥ノ院は十五丁離れた場所にある。
奥ノ院というと一段と奥まった山の中にあるというのが普通ですが、ここ信貴山では奥ノ院は十五丁離れた信貴畑にあり、200m近く標高も低くなります。気楽な気持ちで奥ノ院へ参拝すると戻れなくなりますよ。今回紹介する目洗地蔵尊は、信貴山から奥ノ院への参詣道(毘沙門天道)の途中にありました。
目洗い井戸 お堂の手前、足元に注意
祠手前の足元には井戸があって、水が湧き出ています。この井戸を横断するように旧道の踏み跡が南北に通じています。
磨崖目洗い仏(仏身60cm) 石段を登り詰めると不釣り合いなコンクリート製の覆い屋
離れた場所から見ると祠のようですが、近づいてみると大岩を取り囲むように壁と屋根がコンクリートで塗り固められています。元々自然石の屋根と柱があって二重に囲むことで、不自然さを感じさせます。
目洗地蔵尊の扁額 打ち付けられた人型(悪質な悪戯)
目洗地蔵尊は自然石に刻まれた阿弥陀磨崖仏です。「目洗」の由来はよくわかりません。先ほどの踏み跡を南へ辿れば、地蔵尊の謎が解けます。
崩落した大岩に刻まれた磨崖仏
足元が不安定で撮影するのも困難な場所に、磨崖仏が刻まれた大岩が横たわっています。これ以上崩落が進むと近寄るのは危険になるでしょう。
船型磨崖地蔵立像(仏身41cm)
こちらは紛れもなくお地蔵さんですね。痛ましいことに、お地蔵さんの頭部を亀裂が直撃しています。風化も激しく衣紋さえもぼんやりしています。注意深く観察しないと発見できないかもしれません。
かつては阿弥陀さんと並んで立っていたのが、地盤の崩落により、現在のように引き離されたと考えられます。二尊仏として信仰されていたというのが真相のような気がするのですが、いかがでしょうか。方やコンクリートに守られ、方や風雨に晒され。いつどのようにして運命が分かれたのか知りたいところです。
参考文献
奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)
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