奈良・法隆寺の高僧と称えられる道詮律師が引退後の住まいと伝わる富貴寺。(現、白山神社/平群町)往時の様子をわずかに伝える高ノ坊跡地から、明心への旧道を辿ります。
ストリートビュー - Googleマップ
砂利道が旧道に繋がる(?)
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資料文献を片手に旧道に飛び込む
獣害除けのフェンスを開閉して進むと、道はよく踏み込まれていて古道の雰囲気を楽しめました。(ヤブ漕ぎなど、難渋することはなかったです。)
古道の雰囲気漂う明心への道
明心は北の千光寺や宝山寺と南の信貴山奥ノ院と結ぶ旧街道の中間地点に位置し、十三峠や矢田峠とも交差する十字路。往時はたくさんの人たちが利用していたのでしょう。
山手側の草むらに隠れるように地蔵磨崖仏がひっそりと佇む
資料で見るよりも、ずいぶんと草や土砂に埋もれている様子です。資料の写真では法衣の裾から足元まで写っているのですが、ほぼ手から下は埋まっていて見ることができません。
磨崖船型地蔵立像(仏身66cm)
幅2m程度の自然石に刻された地蔵磨崖仏です。眉毛の部分から鼻筋にかけての様子以外は風化によりうかがい知る由はありません。しかし、じっと見つめていると何となく微笑みかけていらっしゃるような。。。この石仏に込められた思いが伝わってきますね。
右成蓮清信士逆修
天文廿二年六月十五日
これまた文献資料によると、紀年名などが紹介されていました。なんと戦国時代真っ盛りの造立なんですね。少々草木に埋まったぐらいではびくともしないわけです。しかし、次に訪問するときは道具を持って行って、草刈のお手伝いをしなければと思います。
参考文献
奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)
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