元は玉串川沿いにあり、道路拡幅工事の際に当地に遷されてきたと云います。
「東 志き山」と刻む |
時節柄、色鮮やかな彼岸花が彩を添えていました。石仏は二体並んでおり、どういう理由なのか、菅笠をかぶっておられました。
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道標を兼ねた半寡の地蔵石仏
半寡相の地蔵石仏 |
早速、菅笠と涎かけをお脱ぎいただきました。見てびっくり、半寡されて左足の脛が丸見え。一瞬、役行者像なのかと思ったぐらいです。
船型地蔵、薄肉彫り |
正方形の台石上に立ち、流麗な船型光背を持ち、やや前かがみの薄肉彫りです。
台石 |
台石部分には江戸時代後期の「文化六年十月建立」と銘が刻されていました。石仏前の道は古い地図にも記載されています。高安山を越えて大和や伊勢を目指す旅人の多くが、この石仏に手を合わせておられていたのでしょう。
参考文献
八尾市観光データベース(http://www.yaomania.jp/data/index.asp)
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