続・義晴地蔵寺(妙見山南墓地)の石造遺物

交野市教育委員会






 

九年ぶりに星田妙見宮の近くにある妙見山南墓地を訪問。お堂前で談笑されている方々の写り込みを避けて、小祠横に掲示されている「義晴地蔵寺の由来」前で360°写真を撮ることにしました。「義晴」とは、室町時代第十二代将軍・足利義晴氏のことで、同将軍の御墓所だと云う。

 

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義晴地蔵寺の由来(昭和58年12月9日)

 

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右手に宝珠を持つ古式地蔵を探し出せ!

 

義晴地蔵寺(ひな壇にズラリと石仏が並ぶ)

 

九年前の訪問は、主に「宝瓶三茎蓮文様」の石板を見学し、交野市教育委員会の報告書と突き合わせることにありました。そのため、同書に紹介されている二体の石仏の内、地蔵菩薩立像を拝見できていなかったのです。今回は、報告書のページをコピーして持参し、居並ぶ石仏と睨めっこ。しかし、見つかりません。一段ずつ丁寧に、舐めるように見回しましたが。。。

 

阿弥陀如来立像(最上段・右端)

 

地蔵石仏を目前にして、報告書を読み返しているうちに、ある違和感に囚われるようになりました。『像容は、右手は胸前で宝珠を持ち、左手は錫杖を持たず、掌を外に向けて、、、与願印、、、(略)』

 

残念ながら、いずれも赤い涎掛けの下に隠れて見えません。しかし、向かって左下の涎掛けからチラッと手のようなものが突き出ています。わかった!

 

地蔵菩薩立像

 

右手、与願印

 

斜めに欠損した光背部の形状、そして黒い斑点の位置。これらを照合して、報告書の写真は逆版であると確信しました。

 

「右手に錫杖、左手に宝珠」 初心忘れるべからず。

 

みうらじゅん氏によると「エマニエル夫人」の有名な籐の椅子に座ったポーズは、半跏思惟の逆版だったと云う。今後も生駒山系の見仏を続けていこうと誓いました。

 

  • 訪問日[2025.03.01]

  • 参考文献
    交野市の石造文化財2-群津・森・寺・傍示・星田地区編-

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