戒勝寺から長屋王御陵公園へ向かう途中、近鉄生駒線の踏切を越えます。踏切の手前(西側)は、古い地図で見ると生駒の古道「清瀧街道」が南北に縦断する交差点でもありました。
「豊竹頼太夫」の道標 |
自然石の中央に「豊竹頼太夫」と大きく刻まれた道標(右松尾、左生駒)が遺されています。上方落語の「軒付け」で知られるように、江戸から明治大正期にかけて、素人浄瑠璃がたいそう流行したと云います。資料によると、この地に住んでいた豊竹頼太夫師の門弟たちが、師の徳を彰して建立したとのこと。
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墳丘の南側を平地にして建てた薬師堂
辻の地蔵屋形から薬師塚を見る |
梨本の辻には幅広の地蔵屋形があり、中に数体の石仏が祀られていました。しかし、この地には珍しく格子戸が施錠されていて、直接拝見することができませんでした。
船型地蔵立像(像高84cm、仏身52cm) |
横一列に並べられた石仏の向かって左端から、船型地蔵立像、方形二尊仏、西国札所巡りの坐像など、すべて格子戸越に撮影せざるを得ません。
薬師堂(薬師塚、古墳) |
さて、踏切を横断して薬師塚へ足を伸ばしましょう。簡易舗装された坂道を10m程登ると、突き当りに薬師堂が建っています。ここの格子戸はありがたいことに開閉できました。
薬師堂の内部 |
ここにも四国八十八個所巡りの観音像や弘法大師坐像など小石仏が集められています。周辺が交通の要衝だったため、踏切付近には石仏、石碑などが多く造立されたと云います。
船型薬師坐像 |
ここでのお目当ては、薬師堂本尊の坐像(像高94cm、仏身48cm)です。丸みを帯びた船型の花崗岩を薄く掘り窪めて、薄肉彫りされています。右手の施無畏印、左手の薬壺は比較的明瞭に見て取れます。しかし、風化の影響なのか、その下は線刻彫りのように見えました。
船型薬師坐像 |
お顔の表情はまるで「幼児のお絵かき」そのもの。目や口の彫り具合に粗さを感じます。子どもを怖がらせないための配慮なのでしょうか。資料によると、平群谷は大正時代まで無医村だったと云い、こうした石仏は病気の全快を祈念した遺品であるとのこと。たしかに、不動明王のように憤怒の表情では困りますね。
参考文献
奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)
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