「中ノ宮邑」という地名は今の地図には見当たりません。古い地図で調べると東光寺周辺の集落であることが分かります。資料においては「邑」という表記がされているのですが、現在の行政区画では益々分かり難くなるため、当サイトでは「旧村」や「集落」という表現をしています。
大神宮と愛宕山石燈籠(天保年間) |
しかし、今回の石造遺物の紹介においては、昔の雰囲気を感じていただくため、あえて古い表現を使ってみました。現在の地名では「平群町三里」と呼び、「三里(みさと)」は明治10年に「岩井、安明寺、中ノ宮」の三村が合併して出来たと云います。この石仏は恐らく、中ノ宮の南入口にあたるのではないでしょうか。
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中ノ宮より船山神社に至る辻
山型三体仏(地蔵、阿弥陀、観音) |
地蔵屋形は、近年に改修されていました。小さな石仏が集められており、かつては野辺にあったものでしょう。周辺の農道は全て舗装されています。
船型地蔵立像 |
像高83cm、仏身65cmのお地蔵さん。涎かけを取ると、虫の卵をいっぱい抱えておられました。しかし、その柔和なお顔の表情にしばし見惚れておりました。
船型地蔵立像(紀年なし) |
船型地蔵立像(花崗岩) |
微かに微笑んでおられる様子が、口元から伝わってくるように思います。
参考文献
奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷(平成三年)
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