地蔵信仰とあじさいで知られる古刹矢田寺への参詣道は、江戸期の古地図に「郡山大坂道」と記され、生駒山系を挟んで大阪と奈良の交流が盛んであったことを示しています。旧乙田村の中心地は現在の町名を萩の台と改められていますが、かつての街道を訪ねて見ると在りし日の面影がそこかしこに残っていました。
石福寺境内の十三仏板碑と名号碑 |
乙田村は六斉念佛が盛んで、これは宗教的儀式というより浄瑠璃などの伝統芸能として今も息づいており、ここ石福寺の石造遺物は往時の隆盛を今に伝える貴重な歴史遺産の一つです。昭和五十二年発行の生駒市石造文化財「生駒谷」誌とは石碑の並び順が異なっていました。右端が「乙田村六斉念佛」と刻まれた三段四列の慶長十三仏板碑(慶長五年)ですので、訪問の折にはご注意なされてください。
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乙田橋を起点に歩いてみる
起点の道標(背後は生駒の峰々) |
「生駒の古道-生駒市古道調査-(生駒民俗会、平成二十六年)」で紹介された「矢田道」を起点の乙田橋から歩いてみましょう。街道から少し外れますが、前述の石福寺さんには是非お立ち寄りください。その後は古道の道筋を辿ってのんびりと。
歯痛地蔵(紀年など詳細不明) |
道中の見どころはたくさんありますので、どうぞ「生駒の古道」をお買い求めになさってください。同書は生駒ふるさとミュージアムなどで入手可能となっております。
歯痛地蔵(矢田道の辻) |
お地蔵さんのお顔に陽が当たって葉っぱの影がお顔の表情のようになっていました。写真を拡大してよく見るとツンツルテンののっぺらぼう。しかし、鉄柵の内側には今も供花などが絶えず、古くから信仰篤い仏さまであることが窺えます。そっと、合掌して次へ参りましょう。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
生駒の古道-生駒市古道調査-(生駒民俗会、平成二十六年)
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