生駒山系の大阪側の名刹として興法寺と双璧をなすのが、役行者ゆかりの修験道の寺として知られる髪切(こぎり)山慈光寺です。
十三仏板碑(天正十九年) |
ここでのお目当ては何といっても十三仏板碑(天正十九年)です。戦国の動乱期に十三仏信仰が広まった証の一つで、当時の世相を今の世に伝える貴重な遺物ですね。
ストリートビュー - Googleマップ
スポンサーリンク
失礼を知りながら墓地を通り抜けて近道をする
別石十三仏(こばか) |
平安時代の隆盛期には上ノ坊・中ノ坊・向ノ坊・北ノ坊・西ノ坊の六坊が建てられと云い、生駒山中における「白水千坊」の一角を成していたとも考えられています。かつて「こばか」と呼ばれた墓地の焼香場付近は、府民の森の管理道で分断されています。向かい側に続いている細い山道を辿って、墓地をを通り抜けると僅かばかりの近道ができます。
慈光寺の墓地 |
夏場はちょっと敬遠したくなる雰囲気ですが、無縁仏にご挨拶をしたり、ひっくり返った茶碗を元通りに戻したりしながらゆっくりと通り抜けると、興味深い石造遺品を垣間見ることができます。
キリスト教徒の墓標(?) |
二尊仏、板碑など |
六十六部供養(慈光寺本堂前付近) |
やがて本堂の前にたどり着くと、最初に紹介した十三仏板碑と対面できます。六十六部供養石碑の前にある小石仏は、こばか(焼香場)にある別石十三仏の内の一体で、大日如来だと言うことですが、なぜ、一体だけここに移動されているのか詳細は不明です。
参考資料
いこまかんなびの杜(http://www.geocities.jp/iko_kan2/)
0 件のコメント :
コメントを投稿