融通念佛宗善應山寶積寺(漢字がムツカシイ)の境内に祀られている山畑地蔵尊を昨年の今頃訪問して紹介しました。
山畑地蔵尊(延命地蔵) |
延命地蔵として「二百年来村人をご守護くださった」とされる地蔵石仏の二代目さんが祀られています。その二代目延命地蔵を格子の間から覗き込んで撮影したのが、昨年の紹介記事でした。つい先日再訪する機会があり、先代延命地蔵さんのご尊顔を拝せないものかと内心で期待していました。しかし、地蔵堂の格子戸は固く施錠されており、中を覗き込むより仕方ありません。そこで思いついたのが、昨年購入したシータを隙間から差し込んで撮影することでした。幸いシータはスマホよりも細身で軽量、自撮り棒の先端に取り付けて内部に侵入させ、スマホアプリでリモート撮影に成功しました。残念ながら二代目延命地蔵さんの左隣に坐しておられたのは、小さな弘法大師さんでした。許可を得て内部を撮影しておりませんので、画像の公開は差し控えさせていただきます。
ストリートビュー - Googleマップ
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江戸期の石造遺物を鑑賞
寶積寺墓地(三体の地蔵石仏) |
長い前置きをお読みいただきありがとうございました。佐麻多度神社の拝殿奥のフェンスを抜けると、寶積寺境内の東手にある墓地横に出てきます。最初に目にするのは、西向きにお立ちになっている三体の地蔵石仏でした。中央の最も背が高いお地蔵さんは損傷が激しく、生駒石を石材としているためか、風化の具合が独特の文様を呈していて味わい深いです。
船型地蔵立像(元禄十年) |
お地蔵さんの右手側に紀年銘が刻まれており、それによると「元禄十年(1697)」とのこと。もしかしたら、このお方が初代延命地蔵さんでしょうか。年代的には符合するように思います。
三尊種子山型名号板碑 |
寶積寺はGoogleマップに「融通念佛宗」であることが明記されています。六字名号碑は、平群谷一帯でもよく見られ、念仏信仰の遺品として大切に伝えられてきました。上部に三尊を表す種子が刻まれた、この立派な名号碑から、当地にても念仏信仰が広く一般に浸透していたことの一端が伺えます。
石碑(自然石) |
さて、最後にご紹介するのは自然石に刻まれた石碑です。とても、形の良い流麗な自然石に細文字が刻されています。初代延命地蔵ではないかと推測する地蔵石仏と同じ石材を使っており、表面が白化して読み取りを困難にしています。上部に「一蓮」と刻まれているのでしょうか。墓標とも思えないし、何でしょう。まだまだ勉強が必要ですね。
参考文献
なし
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