鬼取山鶴林寺の石造遺物(生駒市鬼取町)

鬼取山鶴林寺

小倉寺町の教弘寺と同様に、ここ鬼取町の鶴林寺もまた、行基開基と伝わる生駒山系の名古刹の一つです。

鬼取山鶴林寺
石造道標(江戸期)


奈良時代の古文書にも録されていると云いますが、境内横に鬼取町の自治会館が併設され、境内下にはコンクリート製の広い駐車場が用意されています。道標の正面には「鬼取山鶴林寺 施主大阪屋」と刻まれています。

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寺号の鬼取山は「おんどりやま」と読む



鬼取山鶴林寺
石造道標「右 宝山寺」


「生駒の古道」として知られる「庄兵ヱ道」の中継地点でもあり、宝山寺からの古道歩きで最初に「ホッ」とできる場所です。駐車場の道路側に一本の道標が立っており、「右 宝山寺」「左 闇峠道」と刻まれています。

鬼取山鶴林寺
石造道標「左 闇峠道」


「闇峠」とは暗峠のことと思われますが、江戸時代のシャレでしょうか。もっとも紀年銘は刻されていませんが、江戸期の造立と推測されています。

鬼取山鶴林寺
鶴林寺・石造遺物


境内の北側に小石仏と板碑が数基祀られています。前列中央の名号板碑には「永禄十年(1567)」の紀年を確認できました。永禄年間と言えば室町時代、戦国の世真っ只中であり、この年に織田信長が美濃の国を制圧しました。

鬼取山鶴林寺
名号板碑(永禄十年)


戦国の時代に生まれなかったことを感謝しながら石碑を眺めていると、ある共通点に気が付きました。石碑を斜め横からみると、わずかにお辞儀して見えますね。生駒市では永正七年(1510)に造立された十三仏板碑が遺されています。これを「うつ伏せ地蔵」と呼ぶのは、マニアの間ではよく知られていること。

「うつ伏せ」はこの時代のファッションだったのかも。しかし、何を意味するのでしょうか。気になります。


  • 訪問日[2017.07.02]

  • 参考文献
    生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)

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